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1600 1 6 4年前に秀吉の大仏殿千僧供養を欠席した日蓮宗の京都妙覚寺の日奥(にちおう)(35)が、大坂城の家康の面前で供養会出仕を認めた京都妙顕寺の日紹(58)らと問答を行ったすえ、敗れて流罪となる。 -1
1600 2 15 豊臣秀頼が、大坂城中で諸大名の参賀を受け、ついで西の丸に赴いて徳川家康に年賀を述べる。 1
1600 3 10 細川忠興が、子の光千代を質として江戸に送る。 5
1600 3 16 陸奥会津の上杉景勝が、出羽仙道諸城の修築を督励する。 -1
1600 3 21 徳川仙千代、没。6歳(誕生:文禄4(1595)/03/13)。家康の8男。 -1
1600 3 21 徳川家康が細川忠興に豊後杵築6万石を加増する。 -1
1600 4 6 宇土城主小西行長、肥前唐津城主寺沢広高、対馬城主宗義智が朝鮮から連れ帰った捕虜160名を本国に送還する。朝鮮との国交を修復するため。 -1
1600 4 8 足利学校の学校長、閑室元佶が唐代の書「貞観政要」を伏見で校訂し、刊行する。 1
1600 4 29 三浦按針(ウィリアム・アダムス)が、豊後の佐志生に漂着する。 1
1600 5 1 豊臣秀頼が、方広寺大仏殿に七重塔・講堂・廻廊を建てる。 1
1600 5 10 豊臣秀頼が、四天王寺を再興し供養する。家康の働きかけで豊臣の財がことごとく消え去っていく。 5
1600 5 13 徳川家康が京都相国寺の豊光寺承兌に上杉景勝の非道を書き上げさせ、これを上杉の老臣直江兼続に送って入京を促す。 1
1600 6 8 島津義弘が徳川家康に大坂城で会して伊集院忠真との調停の労を謝する。家康は会津出兵にあたって義弘に伏見城留守を任せる。 1
1600 6 13 徳川家康が上杉景勝問責に送った使者が景勝の返書(直江兼続の書)を携えて大坂城に戻る。家康は返書を読んで激怒し、諸大名に直ちに会津出兵を命じる。 -1
1600 6 27 金沢城主前田利長が生母高畠(たかばたけ)氏(芳春院)を人質として江戸へ送る。 -1
1600 6 28 伊都、没。加藤清正の母。 -1
1600 7 12 徳川家康が関東の諸将に会津出征の期日を告げ、軍備を命ずる。 -1
1600 7 16 徳川家康が諸将を大坂城に集め、会津遠征の部署を定める。 1
1600 7 20 上杉景勝が家康の会津遠征計画を知り、部下に訓示して奮起を促す。 -1
1600 7 25 豊臣秀頼が大坂城西ノ丸に赴いて家康と会し、黄金2万両と米2万石等を贈る。 -1