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602 6 27 来目皇子が病により征討を中止する。 5 519923
603 11 11 飛鳥の小墾田(おわりだ)に都を移す。 -1 519421
603 12 9 聖徳太子の渡来系の側近、秦造河勝(はたのみやつこかわかつ)が、氏寺蜂岡(はちのおか)寺(広隆寺)を建立する。 -1 519393
603 12 9 聖徳太子が、新羅より献ぜられた弥勒像1体を秦河勝に授ける。 -1 519393
604 1 11 聖徳太子が、冠位十二階を定める。 1 519360
604 2 6 役人に初めて冠位を与える。 5 519334
604 2 6 初めて暦を用いる。 -1 519334
604 5 6 聖徳太子が「憲法十七条」を制定する。 -1 519244
605 4 24 推古天皇が鞍作鳥(くらつくりのとり)に命じて丈六の金銅仏(飛鳥大仏)を造らせる。 1 518891
606 5 20 鞍作鳥が丈六仏を作って法興寺金堂に安置する。 1 518500
607 8 1 遣隋使として小野妹子らを隋に送る(600以来第2次の遣隋使)。ところが、使者が提出した国書にあった「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」ということばに隋の煬帝(ようだい)が怒り、二度と奏上してはならぬと言われてしまう。だが、実際には隋は強硬な態度にでることはできなかった。 1 518062
608 10 25 小野妹子が再び隋に赴く(第3次遣隋使)。 5 517611
609 10 0 この月、小野妹子が隋から帰る。 -1
610 10 30 新羅・任那の使節が都に入り、蘇我馬子らが朝廷に迎える。 5 516876
611 3 14 聖徳太子が勝鬘経義疏を著す。 1 516741
611 6 20 聖徳太子が菟田野で薬猟を催す。 1 516643
613 11 2 聖徳太子が維摩経義疏を著す。 5 515777
614 7 24 犬上御田鍬を隋に派遣する。 -1 515513
615 5 18 聖徳太子が法華経義疏(ほけきょうぎしょ)をまとめる。 1 515215
621 3 3 日本書紀による聖徳太子の死亡日(1等資料では(推古)30(622)年2月22日)。 -1 513099