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592 12 12 崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。即日陵に葬られる。第32代天皇。 1
593 5 15 聖徳太子が国政に参加する。 1
599 5 26 大和で地震が起こる。 1
601 3 0 この月、聖徳太子が斑鳩宮を建てる。 1
602 6 27 来目皇子が病により征討を中止する。 1
604 1 11 聖徳太子が、冠位十二階を定める。 1
604 5 6 聖徳太子が「憲法十七条」を制定する。 1
605 4 24 推古天皇が鞍作鳥(くらつくりのとり)に命じて丈六の金銅仏(飛鳥大仏)を造らせる。 1
607 8 1 遣隋使として小野妹子らを隋に送る(600以来第2次の遣隋使)。ところが、使者が提出した国書にあった「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」ということばに隋の煬帝(ようだい)が怒り、二度と奏上してはならぬと言われてしまう。だが、実際には隋は強硬な態度にでることはできなかった。 1
608 10 25 小野妹子が再び隋に赴く(第3次遣隋使)。 1
611 3 14 聖徳太子が勝鬘経義疏を著す。 1
613 11 2 聖徳太子が維摩経義疏を著す。 1
621 3 3 日本書紀による聖徳太子の死亡日(1等資料では(推古)30(622)年2月22日)。 1
628 4 15 推古天皇、没。75歳(誕生:(欽明)15(554))。女帝。第33代天皇。 1
629 2 2 田村皇子が即位する(第34代天皇、舒明天皇)。 1
630 3 1 舒明天皇が祖父敏達天皇の曽孫の宝皇女(のちの皇極・斉明天皇)を皇后とする。 1
630 9 16 犬上御田鍬・恵日らを唐に派遣する(初の遣唐使)。 1
631 10 19 舒明天皇が有馬温湯(ありまのゆ)に出かける。 1
636 7 18 岡本宮が焼ける。 1
636 8 7 敏達天皇の皇子大派(おおまた)王が官吏の勤務時間を定め、蘇我蝦夷に原則を守るように勧告する。しかし蝦夷はこれを黙殺して退出する。 1