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2年前に践祚した後土御門天皇(25)の大嘗会が執行される。しかし、天皇の権威は既に落ち始めており、これ以後、221年間中断されることになる。
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幕府に許された畠山義就が兵を率いて入京する。
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2
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畠山義就の上洛の力に押された将軍義政が、これまでの態度を変えて義就と対面し、これまでの行動を赦免し守護職を安堵する。この結果畠山政長が家督を奪われることとなる。
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音阿弥、没。70歳(誕生:応永5(1398))。義教、義政の2代の将軍の愛顧を受けた能役者。名は観世三郎元重。
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家督争いを続けていた畠山義就が(山名持豊の支持を得て)上御霊社に畠山政長を攻めて破り、応仁の乱が始る。
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「應仁」に改元する。
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徳政を要求して、木津の土一揆が奈良に侵入する。
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畠山政長側の細川勝元が将軍を取り込んで幕府を抑える。将軍は一転して畠山義就の家督を解き、政長の家督を回復して守護職を安堵する。
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応仁の乱の本格的な合戦が始まる。東軍は1月18日に敗れた畠山政長を支援した細川勝元ら16万1500余、西軍は畠山義就を支援した山名持豊はじめ斯波義廉ら11万6000余。将軍家も、将軍義政と弟義視が東軍に、日野富子と子の義尚が西軍に与する。この合戦で京は焼野原になる。
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1
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将軍足利義政が東軍細川勝元に牙旗を授ける。
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京都の祇園御霊会が中止となる。
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応任の乱で京都が焦土と化す。
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応仁の乱が続く。西軍の大内政弘が大軍を率いて入京する。
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足利義視が京を脱出し、伊勢の北畠氏を頼る。
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西軍が室町第の細川勝元邸を襲撃する。畠山義就は内裏を占拠する。
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後花園天皇が密かに出家する。
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応仁の乱、相国寺で西軍と東軍が総力で激突する。
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この頃、京都に辻子君(ずしぎみ)、立君(たちぎみ)と称される遊女が多く現れる。
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